「竜馬がゆく」と Chromebook
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このところ司馬遼太郎氏の歴史物を立て続けに読んでいます。
「坂の上の雲」、「最後の将軍」そして「竜馬がゆく」と、明治から幕末へとさかのぼっています。
ちょうど1年前の今頃も、司馬遼太郎氏の「関ヶ原」と大坂冬の陣・夏の陣を描いた「城塞」を読み終えた後、桜が満開の大阪城を訪れました。
司馬遼太郎氏は、「竜馬がゆく」を書くにあたり、東京神田の古書店街にある竜馬に関する書物をすべて自宅にトラックで送らせたので、一時、神田に竜馬の本が消えてしまった、という逸話があるそうです。
それほど歴史的事実をしっかり押さえた上で書かれているので、安心して読めます。
「竜馬がゆく」は、今、半分を過ぎたあたりを読んでいます。
抑えの効かなくなった長州藩の志士たちが「蛤御門の変」を起こした後、薩摩軍・会津軍らの反撃にあい撃滅してしまい、それを知った坂本竜馬とその師である勝海舟が、志士たちの無謀で早すぎる死を傷むところです。
わたしが、この本を読み始めて、それまで持っていた竜馬のイメージと一番大きく違ったのは、「竜馬が剣豪だった」ということでした。
竜馬はふところにいつもピストルを入れていた、というのは知っていたので、剣術はあまり得意でなく、ピストルと交渉術で動乱の世を渡り歩いていた、というイメージを持っていました。
ところが、物語を読み始めると、竜馬は土佐藩(高知県)から江戸へ出て千葉道場で剣術の修行をし、北辰一刀流免許皆伝を受け、道場の塾頭を務めるまでになります。
読み進むに連れて、種々の剣術の試合場面が出てきますが、ことごとく竜馬が余裕を持って制してしまいます。
長州藩(山口県)の桂小五郎(後の木戸孝允)も剣の達人で、竜馬と対戦する手に汗を握る場面も出てきます。
その剣の達人である竜馬は、剣にしばられない自由な発想の持主でもありました。
ある時、竜馬に深く心酔している武士が、竜馬の腰の刀が自分より短いのに気付き、次に会ったとき自分も短い刀に変えたことを言うと、竜馬は「今はこれに変えた!」とふところからピストルを出して見せました。
その次に会ったとき、その武士は苦労して手に入れたピストルを竜馬に見せたところ、竜馬はふところから一冊の書籍「万国公法」(国際法の解説本)を取り出し「今はこれだ!」と言ったのでした。
竜馬は、その師勝海舟と同じく、同時代の人々とかけ離れたスケールの大きい考え(列強競合の世界でいかにして日本は自立できるのか?)を抱いていたのでした。
竜馬のふところには、
「ピストル」から「万国公法」、それから Chromebook ?!