「竜馬がゆく」と Chromebook (その2)
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竜馬が同時代の多くの勤皇の志士たちと違って、スケールの大きいユニークな考えを持っていたのは、天性のものもあるでしょうが、竜馬が書籍の観念にしばられなかったからとも言えると思います。
当時、武士の男子は、小さい頃から剣道とともに漢籍を習います。
漢籍に習熟していくなかで、当時広く流行していた水戸学の影響を強く受けることになります。
水戸学とは、水戸藩で成立し、儒学を中心に国学・神道をも取り入れた尊皇攘夷(天皇を尊び外敵をしりぞける)の思想で、幕末の勤皇の志士たちの討幕運動の拠り所となっていました。
特に、長州藩(山口県)の志士たちは骨の髄まで尊皇攘夷に染まり、ほとんど宗教に狂信するように猪突猛進していきました。
一方、竜馬は小さい頃から剣道には興味を示しますが、書物の前に座るのは苦手ですぐ家を飛び出していました。
長じて、竜馬は抽象的な主義や観念に振り回されることなく、いつも現場へ自分の足を運び、自分の眼で実態を直視して判断するプラグマティスト(実用主義者)となりました。
たとえば、日本を列強の植民地にされるのを防ぐため、互いに憎み合っている長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)の手を結ばせようと、中岡慎太郎が熱弁を振るい理念を説きますが失敗します。
そこで、竜馬が思いもよらない奇策を提示します。
当時、長州藩は幕府軍に討伐される寸前で、幕府軍に対抗できる銃や軍艦を外国から購入したかったのですが、幕府と敵対している長州藩には外国は売ってくれませんでした。
しかし、薩摩藩の援助で竜馬が興した日本最初の商社(亀山社中)を通じてなら、幕府と仲が良い薩摩藩に納めるという名目で輸入し、後に長州藩に横流しできます。
薩摩藩も取引上の利益を得られます。
長州藩と薩摩藩は、主義主張はひとまず置いて、実利の面で「薩長同盟」を結ぶことになるのです。
こうして、竜馬は、観念にとらわれ現実を見失うという「書籍の害」を受けるのを免れますが、また、原理にもとづいて物事を理解するという「書籍の益」については、持って生まれた天性の才能でカバーします。
たとえば、二十歳を超えてから、少しは書物を読んでみようと竜馬は漢籍を読み始めます。
仲間の数人が、どうせ読めていないだろうと面白がって集まり、竜馬の読むのを眺めます。
竜馬は、漢籍を、返り点など無視して、ちょうどお経を読むような具合に音読みで上から下へと読み進めます。
竜馬の読むお経がおかしくて、仲間は竜馬のそばで笑い転げました。
しばらくして、仲間が、竜馬が内容を理解できているのか尋ねると、竜馬は読んだ内容を説明し始めました。
漢籍に詳しい仲間は、竜馬の説明を聞き、竜馬があまりに正確に内容を把握しているのに驚いてしまいました。
漢籍の漢文は、昔の中国語です。 日本語を混じえず、頭から中国語の発音で読み通し、読みながら文章を戻らず順に内容を把握していきます。
竜馬の読み方は、ちょうど今の時代の英文の読み方と同じなのです。
また、あるとき、竜馬は蘭学(オランダ語)の講義を大勢の生徒と一緒に受けました。
一番後ろの席で、頬杖をついてうたた寝をしています。
もちろん、竜馬は蘭学の知識はいっさいありません。
講義は、西洋の法律についてのものでした。 静かな教室のなかで先生が淡々とオランダ語の文章を訳していきます。
突然、竜馬が手を上げ、「先生、その訳、間違っちょります!」と言いました。
先生は、竜馬が蘭学を知らないのがわかっているので、「蘭学を知らない者がなにを言うか!」と怒りました。
竜馬は気にせず「先生、もう一回だけそこの原文を読み直してくれんですか。」と頼みました。
先生は、怒りで顔を歪めながらもその箇所を読み直すと、急に顔色が変わりました。
「諸君、わたしの訳が間違っていました!」
竜馬は、オランダ語はわかりませんでしたが、先生の訳を聞きながら西洋の法律体系を自分の頭で理解し、途中の訳の内容がその体系と違っていたので、異議を申し立てたのでした。
恐るべき天才!
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