定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

「レンズが撮らえたF・ベアトの幕末」と Chromebook


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レンズが撮らえたF.ベアトの幕末

 

 幕末の日本の風景、人物、風俗習慣などを撮影したフェリーチェ・ベアトの写真集を見ました。

 幕末関係の歴史小説やノンフィクションをよく読んでいますが、どうしても活字なので映像が浮かんできません。

 江戸時代という時代区分に影響され、幕末は、今の時代とはまったくかけ離れた異次元の世界のような印象を持ってしまいます。

 ですが、考えてみれば総体として時代区分はあっても、個々の実体は日々の暮らしの連続なのです。

 昭和から平成への移行を考えても、人々の暮らしに不連続性はありません。

 わたしの中では、未だに今年は昭和91年なのです。

 

 幕末の風景や人物映像を求めて、F・ベアトの写真を眺めますと、なつかしい思いにとらわれます。

 アスファルト、車、ビルディングなどがなかった、小さい頃の自宅近辺とあまり変わっていません。

 極端に言いますと、表面を覆っている現代的なものを引き剥がすと、今の時代の地方の風景とあまり変わりません。

 人物にしても、髪型、服装は違いますが、それを差し引けば同じ人間です。(当たり前だ!)

 人物写真として撮影されている僧侶などは、坊主頭と袈裟(けさ)は今も同じなので、そのまま今の時代においても違和感がありません。

 チョンマゲ頭は、どこか宇宙人のような印象を抱きますが、マゲを切りザンギリ頭にした有名な高杉晋作の写真(この写真集にはない)は、面長で細めの現代青年と何ら変わるところがありません!

 

 幕末の風景写真を見て気が付いたのですが、地道にゴミがまったく落ちていません!

 雑草や粗末な藁葺き屋根の家はありますが、その前の道にもゴミはありません。

 しかし、考えてみれば、ゴミとは紙くず、鉄くず、石油製品でできたプラスチックやナイロン製品なので、当時存在していなかったり、存在しても高価でゴミになるほどの量はなかったためなのでしょう。

 

 こういう幕末の頃の写真が存在することは、ほんとうにありがたいものです。

 活字や口承により、誇張され膨れ上がり手の届かなくなった歴史上の人物を、写真は等身大に戻してくれます。

 150年前の幕末の風景や人物も、ほんの横丁の先まで足を運べば出会えるほど、そう遠くはないのです!

 

 150年先の時代まで生き残れるか、Chromebook !!