定年後のゆる〜くたのしい日々

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「影武者徳川家康」と Chromebook


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影武者徳川家康〈上〉 (新潮文庫)

  今から416年前の一昨々日(さきおととい)、すなわち1600年10月21日、天下分け目の「関ヶ原の戦い」が行われました。

 言うまでもありませんが、徳川家康石田三成の軍勢の戦いでした。

 最初は優勢だった石田軍も、徳川方と内通している裏切り者が出てはひとたまりもなく、徳川軍の圧勝に終わりました。

 それから14年後の「大阪冬の陣」、その翌年の「大阪夏の陣」で徳川幕府は盤石の体制となりました。

 

 「影武者徳川家康」(隆慶一郎)の物語によりますと、実は晩年の徳川家康は「影武者」だった、というのです!

 「関ヶ原の戦い」の最中に、忍びの者の手によって命を落としていた!(なんと、なんと!?)

 それが知れたら、徳川軍は総崩れ、敵の石田軍は勢いを得て、一気に勝敗は石田軍に傾くことになります。

 ここから本物の徳川家康に成り代わった影武者の登場となるのです!

 

 一般的な歴史の流れをおさえながら、その流れに影武者を投じ、作者は迫力ある展開でぐんぐん筆を進めていきます。

 影武者ゆえに生じる一般の歴史にない成り行きが、いつしか通常の歴史の必然性を形作るもととなってしまう、という作者の並々ならぬ驚くべき力量が随所に遺憾なく発揮されています。

 また、一般には、気弱でうだつのあがらないとされている二代将軍秀忠が、実は、残忍・陰険で計算高く、己の利益のために激しく影武者と争う対立者として描かれています。

 

 家康の影武者説は、古くから諸説あります。

 家康は、この物語のように「関ヶ原の戦い」で命を落とし影武者に入れ替わった、というほかに、15年後の「大阪夏の陣」でカゴに乗って逃走中、カゴの外から槍で刺され、堺の寺に逃げ込んだがすでに息絶えていて、その後の1年を影武者が扮した、という説もあります。

 現に、その堺の寺には徳川家康の墓があり、二代将軍秀忠と三代将軍家光が内密に訪れているそうです!

 

 日本では知名度が低い「影武者」の存在、Chromebook!!