「1973年のピンボール」と「1973年のシャボン玉」
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「1973年のピンボール」(村上春樹)を読み終えたところです。
いい音楽を聴き終えた後のように、身体の隅々までさわやかさが行き渡り気持ち良い余韻に浸っています。
読んでいる途中も、特に物語の流れに乗ってくる後半部では、どうしてこんなに気持ちよく爽快感を味わえるのだろう?と思うほどでした!
この中編小説は、デビュー作「風の歌を聴け」の続編となるもので、登場人物もダブって現れます。
著者31歳のときに発表されたもので、早くも何十年後に発表する長編小説の片鱗を伺わせるような、落ち着いた筆致で観察対象を詩的にまた的確に描写しているのに感心しました。
この作品やデピュー作は、著者が過ごした青春の日々を振り返り一区切りをつけるために著したものだそうで、波が絶えず打ち付ける防波堤の一部に、藻屑やゴミが行き場を失って漂っているかのような、出口を見出せない青春のもどかしさがよく描かれていると思いました。
また、氏の作品の特徴とも言える独特の見事な比喩は、この初期の作品にも見られました。
たとえば「雨は静かに降っていた。新聞紙を細かく引き裂いて厚いカーペットの上にまいたほどの音しかしなかった。」
まさに、イメージの宝庫!
雨が降り注ぐ貯水池に古い配電盤(!)を沈めて葬る印象的なシーンなどなど・・・
1973年頃は、わたしも同じく青春時代でした。
この作品に描かれているものとは大きく大きくかけ離れた、ジミで侘びしくうらさびれたものでしたが、それでも、ページの文章を追いながら、いつしか自分の過去の思い出をたどっていました・・・
突然、文庫本をつかんでいる右手の親指の付け根あたりの筋肉が痙攣を起こし硬直し、一時的に自分の意志で動かせなくなりました!
最近、手や足の指の筋肉がなにかの拍子に痙攣することが多くなったのです。
遠い昔の幻がシャボン玉のように一瞬にして破裂し、いきなり現実に引き戻されたのでした・・・
虹のようにはかない「1973年のシャボン玉」!!