「維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ」と Chromebook
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おやッ!と目を引くようなタイトルにつられて、「維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ」(鈴木明)を読みました。
明治維新の4年前の幕末、ハカマに大小の刀を差し、陣笠をかぶった34人のサムライが、エジプトのスフィンクスの前で撮影された1枚の記念写真からすべて始まったのでした。
著者は、この写真に興味を持ち、欧州使節団34人のサムライ一人ひとりの生涯を調べてい きます。
旅行中病気で亡くなった人、最後まで幕府側につき戦った人、明治政府の高級官僚として働いた人、学者になった人、今に続く大商社の社長になった人・・・
わたしは、維新前夜の動乱の時期に、徳川幕府が、片道3ヶ月近くをかけて欧州へ34人もの使節団を派遣していた、というのもはじめて知りました。
使節の目的は、朝廷の意向を受け、一旦開港した横浜港を鎖港に戻すようフランスと交渉することでした。
この数年前にも幕府は、使節団を派遣していて、海外の情報も今回の使節団には伝えられていました。
また、34人の欧州使節団と同じ時期に、長州藩から伊藤博文、井上馨などのいわゆる「長州ファイブ」が英国を訪れていました。
案外、幕末は、欧米との人の往来は活発だったようです。
使節団は、ほとんど20代・30代の若者で、後に三井物産の初代社長になる益田進(17歳)もその一員でした。
フランス到着後、パリの写真館で撮った益田進の鮮明な写真が本に掲載されていますが、眼光鋭く野心に満ちた青年の顔つきは、今の若者には見られないものです。
国内で勤皇派と佐幕派が抗争に明け暮れている維新前夜に、34人のサムライが、スフィンクスの前で記念撮影をしている、という「ミスマッチ」が奇異に、また、面白く感じました。
使節団のうちの数人の日記が残されていて、当時の旅の様子を知ることができるのだそうです。
なかには、ピラミッドに登り、内部の通路に入り、棺が収められている部屋まで行った者もいたそうです。
スフィンクスの記念写真でも、一人の若者がスフィンクスの首のあたりまで登っています。
ハカマに大小の刀・陣笠のサムライが、ピラミッドやスフィンクスをよじ登る姿:アンビリバボー!
ミスマッチが面白い、
スフィンクスとサムライと Chromebook !!