やっとノンフィクション「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也)の半分を過ぎたあたりまで読み進みました。
この本の構成は、まず、プロローグで木村政彦と力道山の因縁の試合に軽く触れた後、「無敵の木村」になるまでの厳しい修行時代、次いで、輝かしいアマ柔道時代、プロ柔道時代、力道山との「昭和の巌流島の戦い」、その後の木村、そして、最終章でタイトルとなっている「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」へと続いています。
その間に、極真流空手の大山倍達のことや「グレイシー柔術」のエリオ・グレイシーとのブラジルでの壮絶な試合も現され、次から次へと興味をそそられます。
読み始めて最初に驚いたのは、これまで木村政彦についてよく知らなかったのは当然ですが、「柔道」自体もほんとうに知らなかった、ということを改めて自覚したことでした。
わたしの「柔道」についての知識は、高校の体育の授業として週に1回、3年間習った程度でした。
クラブ活動でなかったこともあり、「受け身」からはじまり、「足払い」「腰投げ」「背負投げ」「寝技」などほんとうに初歩の初歩レベルのもので、もちろん、「関節技」や「絞め技」なんかはありませんでした。
この本ではじめて知ったことは、今の「柔道」は「立ち技」が中心で「寝技」になってもすぐ「待て」がかかってスタンドに戻されてしまいますが、元々の「柔道」(元は「柔術」と言っていた)は、武道の流れをくみ、「蹴り・突き・打撃」ありで「待て」がかからず、ほとんど何でもありの試合、ちょうど今の「総合格闘技」のような激しい戦いだったそうです。
「総合格闘技」と言えばまず思い出すのが、華々しい活躍をとげている「グレイシー一族」の「寝技」中心の「グレイシー柔術」です。
そして、その「グレイシー柔術」は、明治時代に日本の柔術家前田光世がブラジルへ渡り、エリオ・グレイシーの兄に「柔術」を教えたのがはじまりなのだそうです。
日本では、当初「総合格闘技」のようなものだった「柔術」が、戦後、スポーツとして「蹴り・突き・打撃」なしで見栄えの良い「立ち技」中心の「講道館柔道」へと変わっていきましたが、日本では影を潜めた「柔術」が、ブラジルを経由し「グレイシー柔術」として「総合格闘技」の世界で再びその姿を現したのでした。
作者増田氏は、北海道大学の柔道部で、「柔術」の流れをくむ「寝技」中心の「柔道」を経験しているのでその歴史や技に精通し、また、この本を書くために、10年以上をかけて資料を集めたり関係者への聞き込みを行ったことが、この本を読み応えがあるものにしているのでしょう。
この本の中ほどの圧巻は、ブラジルでの木村政彦とエリオ・グレイシーの対戦です。
最初に、加藤五段が対戦し、「寝技」の得意なエリオに「前十字絞め」で落ち(失神)てしまい、敗北します。
そして、後日、木村が対戦することになります。
「無敵の木村」は、エリオを「立ち技」でも「寝技」でも圧倒します。
「大外刈り」でエリオをマットに倒した後、木村は得意の「腕がらみ」(キムラロック)にきめ、渾身の力を込めます。
しかし、エリオは「参った」をしません。
木村がさらに強く力を入れると、静まりかえった会場に不気味な音が響きました。(骨の折れる音でした!)
木村の圧勝でした!
この試合は、YouTube (木村政彦vs.エリオ・グレイシー)で見ることができます。
エリオは、この敗北を一生忘れず、木村の強さを讃え、また、木村もエリオを讃えました。
エリオは、この後、43歳で引退するまでブラジルで約20年間無敗を誇り、また、ヒクソンやホイスなど「総合格闘技」で活躍する子供たちを育て、95歳で亡くなりました。
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