前回ブログで "The Great Gatsby" を原文で読んだことを書きましたが、その後さらに、村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」も読んでみました。
原文を読み終えたとき、物語の展開は一応理解できたものの、あちこちに霧がただようような感じが残り、読み間違ったり充分把握できていない箇所があったかもしれないと思ってあらためて翻訳を読みました。
ところが、翻訳を読み終えても、物語上の未知の新事実は現れず、また、物語が幻のようにぼんやりしている印象は変わりませんでした。
つたない語学力ながらどうにか物語のすじみちを理解できたのと、それでも今ひとつ霧が晴れた感じがしないのは、やはり1世紀近くも前、日本の大正時代にあたる、今の日本の生活環境とはるかに異なる米国東部の物語だからなのでしょうか?
さすがに長年翻訳で培ってきただけあって、村上春樹氏が渾身の力を込めて訳した文章は、よくこなれて読みやすく、さながら村上文学そのものを読んでいるかのようでした。
氏の翻訳に対する、というより、氏が長年に渡って愛読してきた作品に対するいつくしみの思いが行間にあふれているようでした!
そういえば、「ノルウェイの森」の中で、主人公に氏の思いを代弁させている印象的なシーンがありました。
うろ覚えですが、たしかこんな内容の文章だったと思います。
・・これまでの人生で折に触れて「グレート・ギャツビー」をページをめくり開いたところからしばらく読むことをしてきたが、そのつど新たにプロットや表現の巧みさに気づかされ、期待を裏切られたことは一度もなかった・・
村上氏はこの翻訳書の「訳者あとがき」でも書いていますが、「グレート・ギャツビー」は氏にとってきわめて重要な作品で、これまで人生で巡り合った重要な三冊の本のうちの一番になるのだそうです!
その三冊の本とは、
「グレート・ギャツビー」(スコット・フィッツジェラルド)
「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)
「ロング・グッドバイ」(レイモンド・チャンドラー)
村上文学が「グレート・ギャツビー」の影響を強く受けているのは当然至極なことです。
「グレート・ギャツビー」の心象風景を映し出す自然描写や繊細な人物描写なども村上文学の印象的な文章でおなじみのところ。
主人公が、過去のある時期のある人物をめぐる出来事を想い出して語る設定なんかも「風の歌を聴け」や「ノルウェイの森」で見られます。
さらに、近隣に住む謎の人物が、遠く湾(あるいは谷)を隔てた向かい側の屋敷の人物に想いを馳せるところなんかは「騎士団長殺し」そっくり!
この作品に対する村上氏の思いは、「訳者あとがき」の次の言葉によく現れています。
「そして僕が四十年以上にわたってこの小説を宝玉のようにいつくしんできた理由を、少しなりとも理解していただけたならと願う。」
「グレート・ギャツビー」ひと夏の美しくも哀しい物語!!
- 作者: スコットフィッツジェラルド,Francis Scott Fitzgerald,村上春樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/11/01
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