小林秀雄全作品の別巻3「無私を得る道」を読みました。
これは別巻となっているように、小林秀雄が書いた作品ではありません。
氏の没後、氏を敬愛する人々が氏との思い出を綴ったものなのです。
小林秀雄の文章は、どんなものでも、途中どこから読み出してもいつもぐいぐい引き込まれてしまいます。
不謹慎な例えかもしれませんが、食べ物の味で言えば「濃い」のです。
薄味でサラサラといただけるものではありません。
ひと口ひと口味わい、舌鼓を打ちながら、中の隠し味を推し測って堪能するのです。
小林秀雄との接点はどこから始まったのだろうか?
たぶん高校の教科書だったのだろう。
文学作品が教科書から外されつつあるこの頃の教科書ではどうなんだろうか?
本離れが主流の今と違い、娯楽が少なく読書が娯楽の大きな割合を占めていて毎月のように日本・世界文学全集が出版各社から発売されていた当時のこと。
文学全集の小説とともに小林秀雄の評論にも手を出しました。
氏の文章は濃厚であるにもかかわらず、文章は鳥の羽のように軽く飛翔し、意味が充分理解できなくてもすがすがしい心持ちになってきます。
文章の裏には何か若者には知り得ない人生の大切な秘密が隠されていて、時々チラッと垣間見られるようでした。
そうした中、確か大学の図書館でだったと記憶していますが、氏が当時文芸誌に連載していた「本居宣長」に目を通そうとしたところ、これにはまったく歯が立たずそうそうに退散せざるを得なかったのでした。
この頃のわたしは、日本の古典や日本歴史にアレルギー状態だったこともあったからだと思います。
その後、社会の荒波に向かって船出し、読書から徐々に遠ざかっていきました・・・
それから40年近くの歳月を経て、荒れる外海から波の静かな入江に戻って来た定年後の日々。
再び小林秀雄の作品を手に取りました。
以前、難解で歯が立たなかった「本居宣長」を恐る恐る読みはじめました。
すると、想定外にも面白く読め、脇目もふらず読み進めることになりました。そして、自分でも驚いたことに続けて2回も読み通してしまったのでした・・・
近そうで遠い田舎の道、小林秀雄への道!!