定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

「数学する身体」と 独創的な独立研究者


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数学する身体 (新潮文庫)

「数学する身体」(森田真生)を今読み終えたところです。

久しぶりに感じるすがすがしくさわやかな読後感。

 

この本は3年半前に世に出て、新聞の書評欄を読んで面白そうなので読もうと思っていました。

が、家の中に本のスペースがあまりないのでできるだけ図書館で借りようとしたところ、いつもずっと貸出中、予約数もいっこうに減りません。

最近、自分にとって面白い本になかなか出会えず、読みかけては途中で放り出すことが続いていたので出たばかりの文庫本を購入し読みました。

 

200ページほどの本ですが、「数学することとは何なのか」をテーマに絶えず身体との関連性を問いながら、まず、数学史を辿ることから始めます。

きわめて抽象的な学問である数学を具象的な身体と絡めて考える、という独創的な着想に惹かれました。

数学史の記述は、論理的・機械的な面から人間の領域に迫ろうとするコンピュータや人工知能へと進みそこで終わります。

 

後半に入りページをめくると、それまで広がっていた数学史の近未来的な建築物やIT設備の風景から一挙に空間・瞬間移動し、突然、目の前に見渡す限り田畑が広がり遠くに山々を見晴らす風景が立ち現れたのでした。

パリ留学後故郷で畑を耕しながら数学研究を続けた世界的な数学者岡潔へと記述が移り、氏の数学との関わり方が取り上げられます。

ここで、論理の代表とされる数学でさえ形式的抽象的な理よりも情や情緒が大きく影響し重要であることが論じられます。

 

なにより驚いたのは著者がまだ34才だということでした。

この年齢にしてはや人生を達観したような円熟した様相。

文章もこなれ読みやすく穏やかな語り口。

最年少で小林秀雄賞を受賞したのも然り、まさに小林秀雄の著書を読んでいるよう。

 

著者は、高校まで夢中だったバスケットボールで、無心で没頭しているときに感じる試合の流れと一体化してしまう感覚を元に、岡潔の言う「すること」があって始めて「わかる」ことを推し進め、「数学する」意味、さらには「自然」や「自己」の意味を探ります・・・

 

文系から数学科に転向、どこの組織や研究室にも属さない独立研究者!!