定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」と フロンティア「村上ワールド」


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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

先月末、長く敬遠してきた村上春樹氏のフィクションの中から風の歌を聴けをふとしたことから手に取り、最後まで読み通すことができた経緯をブログ(「風の歌を聴け」とよみがえる記憶)に書きました。
それに続いて、手頃な長さの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み始めました。

 

この本も、この先どうなるのだろうと興味しんしんのうちに数日で読み終えました。
日をあまりあけずに読んだこれら二つの物語には、30年余りの隔たりが存在します!
風の歌を聴けが発表されたのが1979年、色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年は2013年。

 

長い年月を経て、文体も小説の体裁も大きく変わっていますが、心の奥にひそむある種のわだかまり、闇の部分を抱きながらも淡々と生きる若者の姿は、長い長い、三分の一世紀を経ても変わっていないように思えました。

 

マスメディアでの評判は知りながらも、長く目にすることがなかった氏のフィクションの世界を経験するということは、わたしにとっては、言わば「村上ワールド」という未知の世界(フロンティア)に足を踏み入れることを意味し、ゾクゾクするような緊張感と同時にワクワクするような解放感を感じたのでした!

 

文体はあくまで平明で、変にレトリックを使いひねりにひねった文章とはほど遠く、すんなり気持ちに溶け込んできます!
細部もよくていねいに描かれていて、共感を覚えるところも少なくありません。

 

たとえば、主人公が、新宿駅のホームのベンチで、次々発着する電車に乗り降りする無数の人の群れを眺めて心を打たれる場面があります。
「かくも多くの数の人々が実際にこの世界に存在し、しかも、それぞれに行き場所と帰り場所を持っていることに。」

 

この本を読んでいるとき、ノンフィクションでは感じなかった不思議な思いにとらわれました!
物語の中で主人公の若者の動きを追いながら、同時に並行して、自分の記憶の底に埋もれていた過ぎ去りし頃のことを見つめていたのでした・・・

 

茫漠(ぼうばく)と拡がるフロンティア「村上ワールド」!!