定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

「ほんもの」を追い求めた人たち


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ほんもの―白洲次郎のことなど―(新潮文庫)

白洲正子「ほんもの」を読みました。
白洲正子は、伯爵令嬢であり、白洲次郎夫人であり、また、日本の古い文化や原風景を追い求め、幾多の本を著した才女でした。

彼女は、数十年前、マスコミで取り上げられることも多々あったようでしたが、その時分は、朝早くから夜遅く、さらには、週末まで仕事一筋だったせいか、まったく当時の彼女の記憶がありませんでした。

 

彼女を知ったのは、定年後、小林秀雄の本を読んだときに、彼女の名前が出てきたからでした。
彼女は、小林秀雄青山二郎を師と仰ぎ、彼らと頻繁に交流していました。
その交流の中で、彼女は、骨董を教わり、文章を鍛えられ、やがて「ほんもの」とは何かに目覚めていきました。

 

彼女が師と仰いだ小林秀雄の本は、学生時代によく読みました。
彼の文章は、羽のように軽く、天空を飛翔するような独特の文体で、物事の本質を覆っているベールの奥深くを垣間見させてくれると思うと、また、霧に閉ざされて焦燥感が残る、というような不思議なものでした。
社会に入ってからは、毎日があわただしく、ほとんど本を手にすることもなくなりました。

 

じっくり本を読む余裕のできた定年後、再び小林秀雄の本を読み直しました。
すると、以前はよく分からなかったことが見えてきました。
彼の作品中を貫いているもの、抽象的な曖昧さを廃し、「手応えのあるモノ、手応えのある生活、手応えのある人生」を常に追い求める姿が浮かび上がってきました・・・

 

そう言えば、50年近く前、NHK教育テレビで、正確な番組名は忘れましたが、「量子の世界」のようなタイトルの座談会を見たことを思い出しました。 
出席者は、理論物理学者2名と小林秀雄
小林秀雄は、量子力学の世界にも造詣が深く、それまで湯川秀樹とも対談していました。

 

番組の対談は、ほとんど二人の学者の間で行われ、抽象的・観念的・人工的な言葉が宙を舞っていました。
学者の対談が次第に熱を帯びてきた頃、それまでつまらなさそうにしていた小林秀雄が、突然、高尚な対談に不似合いな下世話の生活臭漂う言葉で茶々を入れたのでした!(具体的な言葉は忘れました)

 

熱く熱していた学者たちは、思わぬ冷水を浴びせられ、二人共一瞬で黙り込んでしまいました!
しばらく沈黙が続いた後、学者たちは、気を取り直し、再び高邁な素粒子の話に没頭していきました。
二人の抽象的な話が盛り上がった頃、小林秀雄がまた茶々を入れ、再び沈黙が支配します!
二人の学者は、厄介な人を見る目つきで小林秀雄を不満そうに眺めていました。
番組内容は、この繰り返しでした。

 

当時、テレビを見ていて、小林秀雄は、今で言う、「空気を読まない困った人」という印象を抱きましたが、今にして思えば、学者たちの「抽象的で観念的で空々しい話し」が我慢できなかったのだ、ということが理解できました。
小林秀雄白洲正子がこの世を去ってから久しくなります。
彼らに替わる人たちは、現れるのでしょうか・・・

 

小林秀雄白洲正子、「ほんもの」を追い求めた人たち!!