彼の名は、フランク安田(本名、安田恭輔)と言いました。
彼が、明治・大正・昭和を通して海外(アラスカ)で活躍していたことは、今回「アラスカ物語」(新田次郎)を読むまでまったく知りませんでした。
彼は、「アラスカのモーゼ」と呼ばれていたそうです。
虐げられたユダヤ人を神の教えに従って安住の地に導いたモーゼのように、飢えや病気で苦しむアラスカのエスキモーたちを、豊かな土地へと案内したのでした。
フランク安田は、明治元年宮城県石巻の医師の三男に生まれました。
当初、豊かな家庭で育ちましたが、15歳のとき両親と死別してからは苦しい生活が始まりました。
生計のため三菱汽船に就職し、外国航路の見習い船員になり、その後、米国へ渡りサンフランシスコの農場で働きました。
22歳のとき、米国沿岸警備船に乗り組み、極寒の地、アラスカへ行き、偶然のことからその地に留まることになりました。
彼は、エスキモー社会に溶け込み、次第に頭角を現し、ついには、エスキモーのリーダー的存在になるまでに至りました。
エスキモーの生活の糧であった鯨やアザラシを白人の密猟者が乱獲し尽くした結果、エスキモーは絶滅の危機にひんしました。
フランク安田は、エスキモーを救うため立ち上がり、先に豊かな土地を探した後、みんなをその地に導いたのでした。
さらに、エスキモーの新天地を探すとき、ゴールドラッシュで有名なアラスカの金鉱も発見しました!
彼の絶頂期が始まりました。
その後、安定した日々が続きましたが、72歳のとき日米開戦となり、強制収容所を転々とすることを余儀なくされました。
そして、1958年、90歳を迎えたフランク安田は、日本を離れてから再び故郷の地を踏むことなく、この世を去って行きました・・・
極寒地の物語を手書きでメモる Yoga Book!!