定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

「坂本龍馬 遭難之地」と Chromebook


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 数日前、久しぶりに京都へ行き、東山の高台寺を訪れました。

 高台寺は、豊臣秀吉の正室である北政所が秀吉の冥福を祈るために建立した寺院です。

 小高い山を登り降りする見学通路を歩き、京都の秋の風情を楽しむためでした。

 

 阪急電車河原町駅で降りた後、高台寺へ向かう前に反対方向の河原町通を北へ歩いて行きました。

 幕末に変幻自在の活躍をした坂本龍馬が、浪士たちに襲われ命を落とした「近江屋」跡を見るためでした。

 iPhoneGoogle Map で確認しながらしばらく歩くと、すぐに「近江屋」跡を示す石碑と立て札が見つかりました。

 

 石碑には「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」の文字が彫られ、立て札には坂本龍馬たちが絶命した経緯が説明されていました。

 今は「近江屋」の建物はなく、河原町通の歩道の脇にひっそりと石碑と立て札があるだけでした。

 

 今から150年前の幕末の時代、勤皇の志士の命を狙う新選組たちから身を隠すため、坂本龍馬は、醤油店の「近江屋」に下宿していました。

 11月15日の夜、土佐藩陸援隊長の中岡慎太郎と「近江屋」の二階で相談している最中、十津川郷士(とつがわごうし)と称する者たちに襲撃され、龍馬はその場で絶命、中岡も二日後にこの世を去ったのでした・・・

 

 前の河原町通は、車の往来が頻繁で、歩道も観光客がひっきりなしに行き来していましたが、だれひとり石碑や立て札の前で立ち止まる人はいませんでした。

 わたしが、写真を撮っていると不思議そうに眺めるだけでした。

 付近のパチンコ店、混雑した車や人の往来のなか、回転寿司店の前にひっそりと佇む指標には、だれも気がつかないのでしょう。

 まさか、こういう場所で、歴史を揺るがす事件が起きたとは思いも寄らず、観光客は忙しげに前を通り過ぎていました。

 

 わたしも歩道の往来のじゃまになりながらしばらく立ち止まった後、河原町通を引き返し高台寺へ向かいました・・・

 

 秋の京都を旅せよ、Chromebook!!