定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

「京都ぎらい」と Chromebook


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京都ぎらい (朝日新書)

 

 新書本「京都ぎらい」(井上章一)を通読しました。

 これは、京都の地元の人にしかわからない京都人の「微妙な感情」を掘り下げ、追求した本です。

 著者は、京都の嵐山の近くの嵯峨で生まれ育ったのだそうです。

 なんと情趣に富んだ、いいところに生まれ育った幸運な人だ、とわたしなんかは、うらやましく思うのですが、これは、事情を知らない他府県の人が言うことなのでしょう。

 

 京都人には、普段は意識の底に沈んでいるのですが、折につけ頭をもたげてくるキーワードがあります。

 「洛中」「洛外」!

 昔、豊臣秀吉が、京の町を復興するとき、町の保護・統制のため町全体を土塁で囲みました。

 この土塁は、「御土居(おどい)」と呼ばれ、「御土居」の内側が「洛中」、外側が「洛外」になります。

 従って、「洛中」が町の中心地、「洛外」が町外れ、田舎になります。

 「洛中」に住む京都人は、「洛外」に住む京都人に対しある種の優越感を持ち、逆に、「洛外」の京都人は、「洛中」の京都人にある種の劣等感を持っています。

 それらの感情は、ストレートに出されるものではなく、何かの折にチラッと垣間見られるほどのものです。

 

 嵯峨の地で生まれ育ち、「洛中」「洛外」をめぐってのセンシティブな感情も知らなかった著者は、長じて後、折々、自分は「洛中」ではなく「洛外」の人なのだ、という事実を、「洛中」の人から認識させられる体験をしていきます。

 そして、著者の意識の深層に積み重ねられたそれらの「微妙な感情」が、この本を書くキッカケになったのだそうです。

 生まれ育った「洛外」を愛おしむ著者は、さかんに「京都ぎらい」すなわち「洛中ぎらい」をとなえますが、その行間からは、「洛中」に対するはかない思いを感じるのは深読みし過ぎでしょうか?

 それは、ちょうど、どうにもならない境遇のため、かなえられない恋を打ち消しても打ち消してもあきらめきれず、なおいっそうはかない想いに胸を焦がす人、のようです・・・

 

 洛中・洛外、京都の旅の友、 Chromebook !!