定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

「デジタル情報時代」と Chromebook


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 昨日の昼、久しぶりに孫たちを連れてマクドナルドへ行きました。

 日曜日の昼時もあって、店内は小さい子供連れで満席状態で、店員も男性社員の応援もあるように見え、10名近くが忙しく客の応対に立ち回っていました。

 また、客への応対も、忙しいなかにも親切丁寧なものでした。

 あの不適切な食材が明るみに出る前の店の不活発な雰囲気とは、雲泥の差でした。

 そして、その不適切な食材が、テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌、ネットなどで取り上げられた時、客足がいっせいに潮が引くように遠のきました。

 数年経った今、やっと客足が戻りつつありますが、その時の影響はまだまだ残っていると思います。

 

 驚くのは、事件の情報伝達の速さと範囲の広さです!

 特にテレビの影響力は群を抜いています!(最近は、ネット情報も大きくなっていますが)

 ベッキー情報、然(しか)り! 舛添都知事情報、然り!などなど。

 事件をリポートする映像が、一瞬にして日本全国を飛び交い、みんなが同時に憤りの気持ちを抱き、また、ため息をつきます。

 今やいたるところ「デジタル情報」が、電波・インターネット・紙などの媒体を経由し、瞬時に国内・国外をかけめぐる「デジタル情報時代」となっています・・・

 

 今から30数年前、わたしが30歳の頃、やっと初期の8ビットパソコンが出始めた頃でした。

 新聞雑誌で、これからは「情報化時代」だと言うフレーズが飛び交うようになりました。

 また、アメリカの未来学者アルビン・トフラーの著した「第三の波」がマスコミで取り上げられ、論議されました。

 「第一の波」は「農業革命」、「第二の波」は「産業革命」、そして、来るべき「第三の波」とは、コンピューターの技術革新を基盤とする「情報革命」を意味していました。

 当時は、「情報」という言葉を目にしたり、耳で聞いたりしても、抽象的で今ひとつピンとこなかったのを覚えています・・・

 

 今から150年前、幕末の頃は、「情報」はどのようにして伝達されていたのでしょう。

 もちろん、インターネットや電信・電話、それにテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などはありませんでした。

 一般の人々が移動できるのも藩内で、自分の住まいから4kmほどの範囲で一生過ごす人がほとんどだったそうです。

 今だったら、ほとんど同時に知るような事件も、当時は何日も経ってから、やっと概略を知るようになるだけでした。

 事件の「情報」は江戸に集まるので、江戸藩邸から国元に書状が送られ、その後、廻状(かいじょう)として武士の間を順に回されます。

 以前に紹介しました、紀州藩下級武士の妻の日記「小梅日記」でも、「ペリー黒船来航」(嘉永6年6月3日)のことを記したのが、6月17日(2週間後)になっています。

 また、水戸斉昭蟄居や慶喜隠居などの「安政の大獄」(安政6年8月27日)については9月15日(約20日後)に記されています。

 江戸の事件発生後、紀州藩の下級武士に「情報」が伝わるのは約半月余り後、一般の町民・農民にまで伝わるのはもっと後になるのでしょう。

 

 今は、様々な「デジタル情報」を瞬時に手に入れられる便利な時代ですが、また、逆に、絶えず「デジタル情報」に追い立てられ、余裕なく常にアップアップしているのではないでしょうか・・・

 

 「デジタル情報時代」の申し子、 Chromebook !!