このところ読むものといえば、増田俊也氏の柔道ものが続いています。
大宅賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞した大作「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で示された、格闘技をめぐっての迫力ある力強い筆使いをまた味わいたくて、次々と増田氏の本を手に取ってしまいます。
そして、今、増田氏自身が体験した北海道大学柔道部での柔道生活を著した自伝的小説「七帝(ななてい)柔道記」を読んでいるところです。
とにかく、面白い! すさまじい! いまどきこんな世界があるのか・・・
この本と同時に「蒼穹の昴」(浅田次郎)も読み始めましたが、こちらは最初の30ページほど読んだところで止まったきりになり、もっぱら「七帝柔道記」にかかりっきりになっています。
「大学の部活生活を描いた青春小説」と聞くと、そんな甘ちょろい本なんか、読んでられるか!と、わたしも拒否反応を示しますが、どうしてどうしてこれはそんなものではなく、どっしり腰が座った本なのです。
戦後、いや、この平成の世にも、まだこういう世界は存在しているのか、と驚くばかりです。
「七帝柔道」とは、七つの旧帝国大学(現在の北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学)の柔道部で行われている寝技中心の柔道のことで、オリンピックや全日本選手権で行われている立技中心の講道館柔道とは異なります。
総合格闘技で有名なグレイシー柔術も七帝柔道の流れをくんでいます。
講道館柔道は、国際化してますますスポーツ化を推し進めていくのに対し、七帝柔道は、武道としての柔道を追い求めていて、ルールもまったく異なっています。
まず、「場外」がないので、観客席に飛び込まない限り試合は中断されることがありません。
また、寝技で膠着状態になっても「待て」がかからず、寝技を延々と続けることができます。
そもそも、立技をせずにいきなり寝技から始めてもよいので、最初から最後まで寝技の試合になることが多いのです。
勝負を決するのは、まず、「投げ技」が決まったり抑え込みが30秒続いた場合の「一本」で、「有効」や「効果」の中途半端な「ポイント判定」はありません。
それに、首を絞める「絞め技」や関節をきめる「関節技」にはまり「参った」をした場合があります。
ところが、試合ではどれだけ苦しくても敗けとなる「参った」をしないので、「絞め技」が続くと「落ちる」(失神する)ことになり、「関節技」が続くと「折れる」ことになります!(なんと、壮絶な戦い!)
柔道部の練習中でも鍛えるために、「絞め技」で何度も「落ちる」ことを経験します。
たとえ「参った」をしても、「絞め技」を解いてくれず、「落ちる」ところまで続きます。
「落ちている」あいだ、三途の川の向こうで亡くなったおばあさんが手招きするのが見え、行こうとすると、活を入れられて目が覚め、キョトンとすることもたびたびだったそうです。
読みながら、ハラハラ・ドキドキの連続です!
異端の七帝柔道、異端の Chromebook !!