定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

白黒テレビと Chromebook


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 静かな月曜日の朝・・・

 土日は孫たちが保育園や小学校へ行かないので、家の中はさながら嵐のようでした!

 孫たちは日に日に体力がついてくる一方、年寄りは日に日に衰えていきます。

 ぼくちゃんがふざけて拳でなぐっても、いままではなんとも感じなかったのが、最近ではズシンと骨にひびきます。

 5才の女の子の方も、寝ている胸の上にドスンと飛び乗ってくると肋骨が折れそうになります!?

 二人ともテレビを夢中で見ます。

 「NHKEテレの幼児向け番組」「ポケモン」「妖怪ウォッチ」「どらえもん」「クレヨンしんちゃん」などなど。

 

 わたしが小さい頃は、テレビはまだ家にありませんでした。

 はじめてテレビの存在を知ったのは、小学1年生のときでした。

 夕方、近所の家の玄関前に人だかりがしているので行ってみると、家の奥に据え付けているテレビを見ようとして集まっているのでした。

 白黒ブラウン管に映っていたのは大相撲中継: 両者とも全勝のまま千秋楽を迎えた横綱若乃花横綱栃錦の結びの一番でした。

 伯仲した大勝負の結果、若乃花栃錦を寄り切って優勝し、家の玄関前は歓声でわきました。

 テレビがまだまだ普及していない当時、人気の高かった相撲中継をみんなが楽しめるようにとテレビの持ち主が開放してくれていたのでした。

 

 小学3・4年生の頃は、夕食後、いつも子供数人で新しくテレビを買った家に見せてもらいに行きました。

 テレビの置いている居間に上がり込み、1〜2時間、その家の家族と一緒に見ていたのですが、今から振り返れば、子供が毎晩家に来てさぞうっとうしかっただろうと思います。

 現に、新しくテレビを買ったばかりのおばあさんの家に行ったときなど、今まで見ていたテレビをあわてて消し、「今、テレビつけてないよ!」と言ってことわられました。

 その時分、よく見ていた番組は、「プロレス中継」「ローハイド」「お笑い三人組」「私の秘密」「少年ジェット」「怪傑ハリマオ」「番頭はんと丁稚どん」「パパはなんでも知っている」などなど。

 力道山の空手チョップを見た後、家への帰り道では、興奮して耳まで真っ赤にして、今見たばかりのプロレスのことを近所の子たちと大声でわめき合いました。

 

 待ちに待ったテレビ(白黒ブラウン管)がやっと我が家にやって来たのは、小学5年生のときでした。

 設置の終わった後、はじめて我が家のテレビで見た番組は「海底人ハヤブサ」でした。

 ♬ ハチ、ハチ、ニイサン〜なぞのひと〜 ♬ という主題歌を聞きながらうれしさで胸がワクワクしていたのを覚えています。

 いつもはテレビの画面を布でおおっていて、見るときは、おごそかに布を持ち上げスイッチを入れるのでした。

 

 中学に入ってからの頃、今でもなつかしく思い出されますが、毎夕方、祖母が熱心に時代劇の番組を見ていました。

 なんだろうと思って一緒に見ていると、だんだん面白くなり、夕方、チキンラーメンを食べながら、時代劇を祖母と一緒に見る時期がしばらく続きました。

 その時代劇とは山本周五郎原作の「樅の木は残った」でした。(NHK大河ドラマではなく民放制作)

 有名な仙台藩の伊達騒動を題材とした作品で、それまで悪人とされてきた原田甲斐は、実は仙台藩をお家お取り潰しから救った逸材であった、というストーリーでした。

 当時、どこまで理解できていたのか覚えていませんが、お家を救うため原田甲斐が苦悩を重ねる姿が印象的でした。

 白黒テレビの暗い画面、練炭火鉢で作ったチキンラーメンの味、今は亡き祖母の姿・・・

 

 何十年か先、孫たちは思い出すのだろうか?

 Chromebook に向かっていた祖父の姿を!!