前回、幕末から明治にかけて、日々の生活を淡々と綴った「小梅日記」を紹介しました。
わたしがその本に惹かれたのは、江戸時代末期の下級武士の家の生活がどのようなものだったのか知りたかったのと、もう一つは、わたしが小梅と同じ紀州藩、和歌山市の生まれだったからでした。
小梅の住んでいたところもわたしの生まれ育ったところと徒歩10分ほどの距離で、日記の中で小梅が訪れる寺や通りもなじみのある場所ばかりで、昨年、わたしが親類の法事で行った寺も、同じように小梅が親類の法事で一日過ごした寺でした。
文章の中に時々見かける「和歌山弁」も今は県外に住んでいるわたしにはなつかしく感じるものでした。
また、漬物で「くき」(大根の塩漬け)という言葉が文中に出てきた時も、長い間耳にしなかった、小さい頃祖母から聞いたその言葉ををなつかしく思い出しました・・・
和歌山城は、終戦前の和歌山大空襲で焼け落ちましたが、戦後再建されました。
昔から和歌山城は単に「お城」と呼ばれてきました。
今は立ち並ぶビルに視界をさえぎられて、「お城」の天守閣が見えないところも多いのですが、昔はもっとあちこちから見えたものでした。
幕末の頃は、当然、周りに高い建物はなく、人家もほとんど平屋でしたので、どこからでも見られ、小梅も外に出たときはいつも「お城」を眺めていたのでしょう・・・
年に数回、ふるさとの和歌山へ帰ることがあります。
生まれ育ったふるさとは、誰しも愛憎入り混じった感情を抱くものでしょうが、定年後の生活を送るこの歳になりますと、すべてのことがなつかしく思い出されるようになります。
自分の子供時代だけでなく、小梅が歩き回った幕末の、自分が生まれる前の時代でさえなつかしく思えてくるのです・・・
高速道路で県境の山を越えて和歌山側に入ると、突然、眼下に和歌山平野が開けます。
そして、遥か遠く、米粒ほどの大きさでビルの間に尖った三角形のシルエットがかすかに見えます・・・「お城」の天守閣です!
江戸の頃、他藩からの帰り道、紀州藩士が山を越え、眼下に見晴らす地平の果てに高くそびえる天守閣を眺めたとき、旅の疲れも一瞬にして忘れるほどの感慨を抱いたことでしょう・・・
いざ、桜満開の「お城」へ参ろうぞ、 Chromebook !!