前回に古文書、前々回に本居宣長旧宅について書きましたが、江戸時代の家の生活と今の時代の生活とどれくらい違うものなのか、考えてみるのも面白いと思います。
江戸時代は数百年も前なので、まず、わたしの子供の頃、60年くらい前のわたしの家の生活と今の生活とどう違うか思い出してみます。
今の家の生活にあって子供の頃の家になかったもの。
自家用車、自転車、ガス、家庭風呂、エアコン、ストーブ、ホームコタツ、掃除機、冷蔵庫、テレビ、録画機、洗濯機、固定電話機、蛍光灯、電子レンジ、電気ポット、パソコン、スマホ、タブレット、ドライヤー、ティッシュペーパー、電気髭剃機、シャープペンシル、ボールペン、ステレオ、CD、デジカメ、ビデオカメラ、電子ピアノ、水洗トイレ、ウォッシュレット、瞬間湯沸器、目覚まし時計、スプレー式殺虫剤、炊飯器、ガスレンジ・・・
次に、わたしの子供の頃と江戸時代の生活の違いを見てみます。
子供の頃の家にあって江戸時代の生活になかったもの。
電灯、ラジオ、水道、靴、洋服、鉛筆、石鹸、柱時計・・・
ギョギョッ!! あまり変わらないではないですか!!
江戸時代と違うものが、思ったよりずっと少ないのです!
子供の頃はもう遠い昔のことですが、当時、特別不自由な生活とは思っていませんでした。
そう言えば、私の世代の小学校、中学校、高等学校では教室にエアコンはありませんでした。
特に、高校1年の時の校舎は鉄筋に建て替える前の木造だったので、冬のすきま風が特別体にこたえました。
ボールペンも使うようになったのは、わたしが高校の時で、フランス製の「BIC」が一般的でした。
あらためて見てみますと、わたしの子供時代の生活と江戸時代の生活も大きな違いがない、ということがわかりました。
ごはんを炊くのは「かまど」で木や炭を燃やし、洗濯は「金だらい」と「洗濯板」、掃除は「ほうき」と「はたき」、暖房は「火ばち」を使い、畳の間と板の間の生活でした。
電灯と水道を行灯(あんどん)と井戸に替えれば、先日訪れた松阪の本居宣長が住んでいた家の生活とあまり変わるところがないのです。
江戸時代というと現代とかけ離れた世界のように思いますが、案外、わたしが経験した過去の生活に近かったのでした。(わたしの子供時代の生活が裕福でなかったからかも知れませんが!?)
生活環境に大きな違いがないのですから、まして、裸の人間にはもっと違いがありません。
今の時代の人間が昔より進化していると思うのは、一種の錯覚だと思います。
家電製品を中心に、ここ半世紀の間に生活環境が大きな変化を遂げたに過ぎません。
生活環境が変わったのであって、人間自身はそれほど変わっていないのです。
変わる(進化する)どころか、かえって退化していると思います。
車、パソコン、家電製品などでいろいろな作業が楽になったおかげで、かえって、歩いたり走ったりする力、記憶力、考える力、などは確実に衰えています。
江戸時代はそれほど遠くないのです。
町中を散歩していても見る目をかえれば、いたるところにその痕跡が見つかります。
まったく対立しているように見えるものでも、相通じるものがある場合があります。
「江戸時代の筆と和紙」 VS 「現代のChromebook」!!