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「最後の将軍」と Chromebook


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最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)

最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)

 

 前回紹介しました「坂の上の雲」に続いて、「最後の将軍」(司馬遼太郎)を読みました。

 前回の時代背景は明治時代でしたが、今回は時代を少しさかのぼって幕末です。

「最後の将軍」とは、言うまでもなく、徳川十五代将軍慶喜(よしのぶ)です。

 当初、将軍になれる見込みのない水戸藩に生まれますが、10歳の時一橋家に養子に出され、25歳で将軍後見職になり、29歳で十五代将軍になりましたが、早くも翌年、政権を天皇に返上する大政奉還を行い、その後、76歳で亡くなるまで隠遁生活を送る、という波乱万丈の人生でした。

 

 この本を読む前にわたしが抱いていた慶喜のイメージは、「幕末の大きな時代の波にほんろうされたひ弱な将軍」だったのですが、本を読み終わった後、そのイメージが一変しました。

 インテリで、新しいことに興味を持ち、幕末の時代に豚肉や牛肉が好きで、また、理路整然と話す雄弁は聞く人を魅了し、歌舞伎の団十郎も及ばないとまで言われたくらいでした。

 インターネットの写真を見ると、目鼻立ちがハッキリしていて、まるで江戸時代というより今の時代の人のようです。

 彼の考え方や行動も、現代人が幕末の世にタイムスリップしたような感じを受けます。

 作者の司馬遼太郎氏も物語の中でこういう文章を書いています。

 「慶喜は自分がうまれる場所をまちがえたことを知った。」 わたしは、「うまれる場所」だけでなく「うまれる時代」もまちがえたのだと思います。

 

 現代人のような慶喜は、個人主義でもありました。

 「自分を犠牲にしても最後まで家臣たちと運命をともにする」という共同体的な人ではなく、「家臣たちを見捨ててもあくまで自分の考えを貫き通す」という個人主義的な人でした。

 例えば、京都で慶喜幕府軍薩長軍が一触即発の時、圧倒的な軍勢を持つ幕府軍は制止できない状態になっているなか、自分が朝敵になることを恐れ、大阪へくだることを家臣に伝えます。

 家臣はとても納得しませんでしたが、そこで、慶喜はこう言います。

 「この慶喜の下阪には深謀がある。それはいまは明かせぬ。わしにまかせよ。」

 家臣は、京都と決戦するためいったん大阪城にくだるのだ、と納得し、慶喜とともに大阪城を目指します。

 大阪城に入って数日後、制止できなくなった主戦派は、再び討薩長をかかげ京都に向かい出します。

 慶喜はどうすることもできず、重臣二人を呼び、「江戸へ帰る。」と伝えます。

 慶喜は、驚いている重臣にこう告げます。

 「関東に戻って、しかるのちに存念がある。」

 重臣は、江戸で抗戦の準備をするものと思いよろこびます。

 その夜、慶喜は、重臣二人を連れて、闇にまぎれて大阪城を抜け出し、港に停めていた幕府の軍艦に乗って江戸へ帰ってしまいます。

 軍艦の上で、重臣は慶喜の真意を知り、「謀(はか)られた。」と肩を落とします。

 

 慶喜は、器用で才能豊かな多趣味の人でした。

 明治に入って隠遁生活を送るなか、種々の趣味に没頭しました。

 大弓、鉄砲猟、謡曲、油絵、写真、刺繍・・・

 その頃めずらしかった自転車も乗り回していたそうです。

 ほんとうに現代人のようです。

 見方を変えて、先ごろの SMAP 騒動の時、ネット上でキムタクのタイムスリップ説がうわさされたように、慶喜も国内が二分される内乱を避けるために未来から幕末期にタイムスリップしてきた、と想像してみるのも面白いものです!?

 

 内乱回避の計画を練る慶喜の視線の先には Chromebook !!