定年後のゆる〜くたのしい日々

〜読書、語学、パソコン、音楽などをたのしむ日々のくらし〜

不思議な体験と Chromebook


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 「不思議な体験」とは、前回紹介しました「白洲正子自伝」の中で書かれている内容です。

 著者白洲正子は、長男を出産した後、産褥熱に冒され生死の境をさまよいますが、その部分を少し引用してみます。

 

 二年前に死んだ母が目の前に現れたが、私は不思議とも何とも思わなかった。私の方から声をかけたが、何もいわずに消えてしまい、私は何ともいえず好い気持になって行った。

 ・・・・・・廊下かどこか遠くの方で、先生が次郎(白洲正子の夫)に、「ふだんスポーツはしていられますか」とか、「心臓が持てば助かります」などといっていられるのがはっきり聞えた。というより、はっきりと目に見えた。

 ・・・・ 何時間ぐらい経ったであろうか。次第に意識が戻って来て、苦しくなった。・・・・ あの時、好い気持ちのままで死んでいれば楽だったのに、・・・生きるというのはとても大変なことなのだなと、その時思った。

 

 これを読んだ時、わたしはずっと以前に読んだ本「臨死体験」「証言・臨死体験」(立花隆)を思い出しました。

  臨死体験とは、病気や事故で死にかかったり、あるいは、一度死亡が確認されてから、再び蘇生して生き返った人が、死んでいる間に「あの世」で体験してきたことを言います。

 立花隆はこれらの体験談に興味を持ち、はたして臨死体験はほんとうに体験したことなのか、それとも単なる脳の中の妄想に過ぎないのかを客観的・科学的に判断しようとして、国内国外を問わず多くの臨死体験を検証していきます。

 たとえば、米国のある患者が、臨死体験中に病院の窓の外の空中を浮遊している時、窓の下の引き込んだところにバレーシューズが隠れた状態になっているのに気が付きました。

 病気が回復してから、看護師にそのバレーシューズのことを話し調べてもらうと、果たしてバレーシューズが見つかりました。

 それは、窓から覗いても見えない箇所で、過去の経験からもその患者が決して知り得ないことでした。

 また、日本のある男性が子供の頃、何人かで山の細い道を歩いていた時、突然大きな叫び声におどろき立ち止まりました。

 すると、その目の前に岩の塊が落ちたのですが、立ち止まったことで間一髪、岩の直撃をまぬがれ助かりました。

 後に、その男性が成人してから体外離脱を経験した時、子供時代の自分が山道を歩いているのを目撃します。

 そして、もう一人の子供の自分が歩いている数歩先の頭上に、今まさに落ちかかっている岩が見えました。

 「危ない!!」と思わず声を発しました。

 その声に驚いて子供は立ち止まり、岩はその前へ落ちました。

 子供が聞いた叫び声は、「未来の自分の声」だったのでした。

 

 さて、 Chromebook は臨死体験とはまったく関係ないのですが、手に入れてから1ヶ月間ほとんど毎日使ってきて、この「安もの」が定年後の今のゆる〜い生活の中で充分満足できる道具だと分かったこと、これこそが「不思議な体験」と言えるのかもしれません。