前に「ことばの原っぱ」というタイトルで、外国語の感覚が身に付くとは、頭の中の「ことばの原っぱ」に「ことばの道」が開通することだと言いました。
そして、この道は、絶えず踏みしめ踏みしめしていないと、すぐにぺんぺん草が生えて道が消えてしまうということも言いました。
それでは、「ことばの道」を苦労せずにできるだけ効率よく作るにはどうしたらいいのでしょうか?
外国に住み、仕事や日常のことをすべて外国語に浸って生活するのが一番いいのでしょうが、なかなかできることではありません。
また、前にも書きましたが、外国に住んだからといって、ちょこっと語学学校をのぞくだけで、あとは食器洗いなどのバイトをほとんど無言でやり、現地の日本人ばかりと付き合っているという生活では、語学の向上は望めません。
日本にいてしかも独習で外国語の「ことばの道」を作るにはどうしたらいいでしょう?
わたしが今まで試行錯誤し実践してきた結論は、【多読】【多聴】を徹底するということにつきます。
【多 読】
簡単に文法をひと通りさらいある程度の基本単語を覚えたら、すぐに自分に興味のある文章を読み進めるのがいいと思います。
わたしは、面白そうな小説を辞書を引きながら次々と読みました。
その辞書もできるだけ引かずにすませ、ストーリーがおおまか分かるような最低限度にします。辞書を引くと、そこで文章を読む外国語の流れが途切れてしまうからです。
文頭から順に目で追っていき、できるだけ逆戻りしないようにします。
文頭から順に意味をひとつひとつ頭の中で押さえていく(理解していく)のです。
この時に、頭の中に日本語を出してはいけません。日本語を出すと外国語の流れが途切れるからです。
ことばになる前の「感情」の状態で理解するよう努力するのです。
これは、「慣れ」の問題です。これができなければ、早く文章を次から次へと理解し読み進めること(多読)はできません。
雑草のはびこるところを踏みしめ踏みしめし続けると「道」が現れてくるように、分かっても分からなくても我慢して、外国語の文章を頭から逆戻りせずに眼を走らせ続けていると、いつの間にか「なんとなく心の中に意味がフワッと湧き上がる瞬間」を感じる時に出会います。
その時のうれしさは格別なものです。
【多 聴】
リスニングもニュースなどやさしいものからどんどん聴いて耳を慣らしていきます。 リスニングこそ耳に入る順にどんどん理解していかないと待ってくれません。
ましてやさかのぼって理解するのは不可能です。
文章を読むよりリスニングの方がむずかしいと言えます。
わたしもはじめの頃ラジオで英語ニュースを聞いた時、100%理解できませんでした。 何についてのニュースかさえもまったく分かりませんでした。
それでも我慢し聴き続けていると、ある時、ほんの一部ですがフッと意味が湧き上がる時が来ます。ほんの一部です。
それからも我慢しリスニングを続けていると少しずつ分かる領域が増えてきます。
細い細い「ことばのけもの道」ができ始めてきたのです。
この【多読】と【多聴】は、両方続けていくと相互に作用し、「ことばの道」作りを加速させます。
要は、分からなくても【多読】【多聴】を我慢して続けるということなのです。
わたしたちの若い頃は、洋書を手に入れるのも簡単ではありませんでした。
他府県の大きな書店を訪ねたり、海外から船便で何ヶ月もかけて取り寄せたりしました。
リスニングもお金がかからないものは、ラジオかテレビの短時間の会話番組だけでした。
それが今はどうでしょう!!
パソコンとインターネットがあれば、洋書もアマゾンですぐに宅配されるし、電子書籍では多数の昔の海外の名作がほとんど無料で読むことができます。
リスニングにしても30分から1時間の海外のニュース番組(ビデオ)が無料で、しかもコマーシャルなしで見ることができます。
まるで夢のようです!!
わたしは、"PBS News Hour"(英語ニュース番組)と"Le Journal de 20h TF1"(フランス語ニュース番組)を毎晩視聴しています。(なかなかむずかしい!!)
PBS NewsHour full episode Nov. 27, 2015 - YouTube
Les adieux de claire chazal au jt de tf1 - YouTube
このように、今は夢のようなツールがすぐ手の届くところにありますが、問題はその先なのです。
そこからは昔と同じように、努力を重ね一歩一歩地道に進んでいくしかないのだと思います。
その努力の毎日は、苦しい日々ばかりではなく、毎日毎日次々に新しい世界が眼の前に広がっていく、満ち足りた日々にもなるのです。